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1905年、パリ16区に生まれる。2歳のときに海軍将校であった父と死別し、母方の祖父であるシャルル・シュヴァイツァー(ノーベル賞受賞者であるアルベルト・シュバイツァーの叔父)の家に引き取られる。シャルルはドイツ語の教授であり深い教養を持ち、サルトルの学問的探究心を刺激した。
パリのブルジョワ知識人階級の中で育ったサルトルは、その後1915年、パリの名門リセであるアンリ4世校、ルイ・ル・グラン校で学ぶ。このころ、ポール・ニザンと知り合う。しかし母の再婚(再婚相手は当時工場長であったジョゼフ・マンシー)にともない、1917年にはラ=ロシェルの高等中学校に転校することとなる。
しかしサルトルは転校先のラ=ロシェルにうまく溶け込むことができず、後に挫折の年月と述懐している。この時期のエピソードとしては、母の金を盗んだことで祖父から見離されたことや、美少女を口説こうとして失敗し、自身の醜さを自覚したことなどが知られる。こうしたラ=ロシェルでの「悪い影響」を案じた家族により、1920年には再びアンリ4世校に転校する。そこでポール・ニザンに再会した。
1923年、ニザンとともに刊行した同人雑誌「無名誌」(Revue sans titre)に、短編小説『病める者の天使』を発表。
1924年に高等師範学校(École Normale Supérieure)入学。1927年には、ニザンと共にヤスパースの『精神病理学』仏訳の校正を行っている。
1928年にアグレガシオン(1級教員資格)試験に落第。サルトルを知るものはみな驚くが、翌年首席で合格した。このころ、同試験の第2位で生涯の伴侶となるボーヴォワールと知り合い、1929年には2年間の契約結婚を結んでいる。
1935年に想像力についての実験のため、友人の医師・ラガッシュによってメスカリン注射を受ける。この際に全身をカニやタコが這いまわる幻覚に襲われ、以降も幻覚を伴う鬱症状に半年以上悩まされることになる。
レイモン・アロンとの会話によりエドムント・フッサールの現象学に興味を持ちエマニュエル・レヴィナスの博士論文『フッサール現象学の直観理論』(La théorie de l'intuition dans la phénoménologie de Husserl)を読み、ベルリンに留学した際にはフッサールに学ぶ。その後、1936年から1939年にかけてル・アーヴルやパリで教鞭を執る傍ら、哲学・文学両面にわたる執筆活動を行い、1938年には小説『嘔吐』を出版し、名声を博した。
引用『ウィキペディア(Wikipedia)』
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